宣誓、

※はじめに
本文で記載しているものは私個人の推察・私見に過ぎません。
あくまで一個人の意見として述べたものであり、自分が今抱いている悲しみ・不安・怒りといった負の感情を文字化することで自分の中に落とし込もうという趣旨の下書いたものであるため、決して読んでいて楽しいものではなく、もしかしたら不快な思いをさせてしまうかもしれません。

決して人様に薦めるべき内容ではないため、ひっそりアップしておりますが、もし…もしこれが目に止まり、最後まで読んでもいいかなと思ってくださった方に「何か」が伝われば幸いです。


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小山くんは優しい。

私は小山担になってから何度この言葉を口にし、文字にし、思ったことだろう。

小山くんは優しい。とにかく優しい。
小山くんみたいになりたい。小山くんみたいな優しい人に。

何度願っただろう。


私はちっとも優しくないじゃないか。と思い知らされた。


その日あげられた彼の公式個人ブログとも言える『KEIICHIRO』を読んでから。




その日は本当に色々あった。
わざわざ明記する必要はないだろう。


色々あったから誰かと話したかった。
その日の夜はとある小山担と今流行のリモートシステムを用いて、語り合っていた。

23:02だったかな。「今日はきっと彼は『KEIICHIRO』を更新する」と確信に近いものを感じていたため、webを確認しに行くと案の定更新マークがあり、徐ろに画面をタップした。


泣いた。


話していた小山担に申し訳ないレベルで泣いた。泣きじゃくった。



すぐに目に止まった、自担からの「ごめんなさい」という一言がまず辛かった。
自担に遂にごめんなさいと言わせてしまったことが辛かった。

これは決して今まで自担が謝ってこなかったというわけではない。断じてない。
今まで公式の文書では「申し訳ない」という言葉を使っていたし、個人のブログでも直接的な言葉ではなく「心苦しい」という心の内を吐露してくれたり、悲しみを共有してくれた。

ただその日告知された今春開催予定だったライブツアー全日程中止の知らせ、そしてその日を通してあったこと、色んな意味を込めた「ごめんなさい」が辛かった。



そしてひとしきり泣いたあと、胸に小さな違和感を覚えた。


違う。何かが違う。

と。



それは話していた小山担も感じていたらしく、二人でぽつぽつと話し出した。この違和感はなんだろうと。

答えはすぐには分からず、普段だったら「まぁ、時間が経てば分かるだろう」と流していたかもしれないが、その日だけは何がなんでもこの違和感の正体を知りたかった。知らないといけないと心の何処かで焦っていたのかもしれない。


2時間程経っただろうか…
恐らく日付を超えた深夜1時頃、何気なく過去の自担の投稿を読んでいると「あぁ、こうやっていつも自担は寄り添ってくれている。優しいなぁ……」

え、そうだよね?(何が)
自担のブログからはいつも直接的な言葉がなくたって、自担によって紡がれた言葉や自撮りや動画から「今日も心は繋がってる」と感じられていた。

なのに今日は文の最後に「近くにいてね。離さないけど。」と添えられていた。


なのにどうしてだかその時の私達はこの二言が"浮いて"見えていた。
そこから自担の感情が読めないと感じた。

いつもなら言葉がなくたって感じていた心と心の繋がりが、今日は言葉にしてくれているのに何故か感じられない。


なんで…?
自担の心が分からない…


違う。

自担の心が分からないんじゃなくて、自担が私たちの心が分からなくなっているのではないのか?



この答えに辿り着いた時、違和感の正体に気付いてしまった気がした。



自担は言っていた。

「愛とはお互いがお互いを受け入れあって、優しい心でいて認め合う事で愛し合うという事。愛がなければ自分の存在価値や生きがいがなくなってしまう気がする。」(最新アルバム『STORY 』内の「What is Love?-interlude-」の内容を要約)


それが出来ているのかな。
少なくとも私は自担の優しさに甘えてしまっているんじゃないかな。

私はただのファンであり、自担に直接何か出来るわけではないし、それどころか今まで自担にもらってきた愛や優しさを満足に返すことすら出来ない。


でもそんな自分の立場に甘んじ、自担の優しさにばかり甘えていたのではないのか?



自担は四葉のクローバーが持つ意味の一つである「愛情」をテーマに背負った上で、こんな歌詞を紡いだ。

「毛布みたいに包まれて あったかいならいいのに」って
どうして形を求めるの?
近くにあるよ いるよ 気づいてよ

NEWSの楽曲「クローバー」より一部抜粋


言ってんじゃん、、

いつも心は近くにあるよ、近くにいるよ、気付いてよって…言ってんじゃん。


それなのにこうやって直接言葉にしてもらわないと気付けない私、馬鹿じゃん。大馬鹿野郎じゃん。


自担から沢山もらった優しさや愛は当たり前のものなんかじゃない。
何にも返せてない。貰ってばかりじゃないか。


何が自担のように優しくなりたいだ。
何が一緒に前に進みたいだ。
何が愛し合うだ。

全部全部貰ってばかりじゃん。



そこに気付いてからすごく胸が苦しい。痛い。

私はいつも自担から沢山のモノをもらってここまで前を向いて歩けてきた。心が弱った日は自担からの言葉を思い出してまた元気になれた。
自担に心を守ってもらっていたんだ。


…じゃあ、自担自身の心はどうなの?自担の心は誰が守るの?


この答えが「私」や「私たちファン」だったらどれだけいいだろうか。
そうじゃない、それが叶わないから悔しくて腹立たしくて苦しくて堪らない。


でもこの違和感の答えに辿り着いた事で一つ気付けたこともある。

優しいって大変。

優しい人は強い人 だとはよく言ったもので、正解かどうかは分からないが、小山くんの心を読み解いていくだけでこんなに心が痛くなるの?



全ての体裁を無視して(怒られる覚悟で)自分の心の声をそのまま上げていいのなら、

小山くん、もう充分すぎる。
小山くん自身の心を守って欲しい。
小山くんがふとしたタイミングで心が枯れてしまったらどうしよう。怖いんだよ。

小山くんは『KEIICHIRO』でも喜んでもらえることを考えて更新していくって言ってくれたけど、そんなの『KEIICHIRO』じゃないよ。

小山くんが話したいことや聞いて欲しいこと、いつもは吐き出せなくてもここだけならとナイショ話のようにそっと私達に教えてくれる…小山慶一郎くんの小山慶一郎な所が垣間見える場所でいいんだよ。

ごめんね、小山くんに何かしてほしい訳じゃないのに。
でもこれ以上頑張らないでって言うのもおかしいし。

とにかく守って欲しいんだよ、小山くん自身を。
私は守ってあげられないから。




はぁ…何を生産性のないことを言ってるんだろうか。

解決策や現状を打破する手立てがない答えに辿り着いてしまい、ものすごく今心が苦しいけれど、この答えに辿り着けた事を無かったことにだけはしたくない。しちゃいけない気がする。

何が出来るか分からないし、何も出来ないかもしれない。
でも向き合っていくと決めたから。



優しく、強くなりたい。

これは私の宣誓だ。

気付くのが遅くなってごめんね。
どうか、心を元気に。
近くにいるから。離れないから。

お願い、側に居させて。


小山くんは優しい。その優しさは当たり前なんかじゃない。