Re:深夜のラブレター
「私にとって自担ってなんなんだろう」
最近、このことについてよく考える。
時間が有り余った今、日々の中にエクササイズを取り入れてみたり、料理をする機会を増やしてみたり、家族との会話が増えたり、そんな中で自分のことや自担について考える時間も自然と増えた。
今の私は完全に「自担不足」である。
本来なら例年通り、アルバムを提げたツアーの真っ最中であり、今日は自担の誕生日を直接会場で祝えるはずだった。
正直、めちゃくちゃ悔しい!!
でも悔しい思いをしているのは私だけではないし、今はとにかく自分に出来ることを精一杯しよう。と自分なりに前を向いていた。
そこで少しずつ自分でも気づかないうちに心に降り積もっていった不安や寂しさを、自担は自身のwebにて「心は疲れていない?」という一言で解放してくれた。
「私、心が疲れていたんだ」
とそこで気付かされてひとしきり泣いたあの日から、また少し私の日々が変わった気がする。
今自担に会うことやコンサートに行くことは叶わないけど、オタクである今の自分が楽しくて幸せで仕方がないんだよね…なんでなんだろ。
数日前の私が呟いたように、最近「オタク」であることが楽しくて幸せで仕方がない。
自担に会えるはずの時間は先の未来へお預けとなり、満足にオタクをするどころか日々の生活すら制限が多い。
それでも私は今この瞬間を凄く「幸せ」だと感じている。
なんでなんだろ。
そう夜な夜な考えているうちに、一つの答えに辿り着いた。
少しだけ自分に優しくなれたのではないか
と。
私の好きな人はとても優しい。
自他共に認める「何でも許しちゃう」そんな人。
自身だって大変な時なのに、いつもwebやラジオにて文字や声に乗せてその優しさを届けてくれる。
「なんでこの人はこんなに優しいのだろう」と何度も思った。
そして何度も「私も優しい人になりたい」と願った。
今の自分が自担のような優しい人であるかと聞かれても自信はないけれど、前の自分より少しだけ優しくなれたのではないかと思える。
自担がくれた沢山の言葉が私自身が気付くことで私の心を救ってくれたように、ほんの少しだけ私を私自身に対して優しくしてくれる気がする。
自分自身に少し優しくなれたことによって…かは分からないけれど、今自分が過ごしている時間を精一杯楽しもうと思えるようになり、出来ることは限られていてもその中から「楽しみ」や「幸せ」を見出そうとしてるのかもしれない。
例えば
ラジオで自担の声を聴ける毎週火曜夜中の30分間が愛しく感じ、
自担がwebを更新してくれるのが待ち遠しくてついつい更新ボタンを連打してしまったり、
それをTwitterで共有したり自分の中で考える時間、
今こうして自担を想い言葉を紡いでいる時だって、
今はそれらの時間が楽しくて仕方がない。
自担のことを考える時間が幸せで仕方がない。
「人を幸せにするには、まず自分が笑顔で、幸せであれ」
誰かを幸せに出来るぐらい大きな力は持っていないけれど、まずは私自身が幸せでなければ誰かの幸せを願うことすら叶わないと思うから、私に沢山の優しさや幸せをくれた自担が幸せであってほしいから、私は今日も自ら「楽しみ」や「幸せ」を探せる人で在りたい。
そして少し疲れてしまった時はそんな日があってもいいじゃないかと赦せる自分で在りたい。
少し前まで私は自担の存在を
旅人が迷った時に空を見上げれば必ず同じ方角に輝く北極星のような「みちしるべ」であり、私のゆく道を優しく照らしてくれる「光」である
と思っていた。
もちろんその想いは変わらないが、自担は自身作詞の曲の中に「あなたのヒカリになりたい」と綴った。
私の中で自担は闇夜を打ち払う太陽のような光だと思っていたが、「flashlight」つまり懐中電灯になろうと言ってくれた。
ここからはあくまで私の解釈だが、懐中電灯は太陽のように自ら闇夜を打ち払う程の力は持っておらず、その懐中電灯を握りスイッチを入れる「誰か」がいることで初めて眩い光を放ち闇夜を照らす。
つまり懐中電灯とそれを握る「誰か」は共に寄り添うことで前に進むことができる。
自担自身がflashlight であることを望んでくれるのならば、私は自担という「ヒカリ」と共に前に進むことを望む「誰か(ファン)」の一人になり、こんな日々の中でも「楽しみ」や「幸せ」を探し前に、未来へ進もう。
…あー、だからオタクが楽しくて仕方がないのか。笑
「私にとって自担ってなんなんだろう」
自担の誕生日に即した文章とはとても思えないこの一言、
そこに今の私の答えを示すのならば
「私の大好きな人」だ。
凄く簡単な答えで我ながら呆れるが、呆れるぐらい大好きだ。
きっとこの先の未来はもっと素敵な事が待っていると信じられ、そこから見える景色を一緒に見たいと願う。
どうやら私はまだまだオタクである今の自分を楽しみたいらしい。
大好きな小山慶一郎くんへ
いつかまた逢える日まで。
またいつか直接この言葉を届けられるその日まで。
お誕生日おめでとうございます。