私の居場所

ここ最近は感情が大きく動く出来事が多く、でもそれに慣れることなんてなくて今回も…世知辛いなぁと自分の中で色んな感情を噛み締めてます。

なかったことにはしたくない。彼らが好きだからこそ生まれた感情はたとえ飲み込むのに涙が出るぐらい辛くても事実として受け止めたいって思うから。


少し時間が経って、漠然と考えていること

「これからどうしよう」


いや、漠然としすぎやろ。
と自分で思わずツッコミ入れて笑っちゃうぐらい漠然としてるなぁ…



私は4人のNEWSを好きになり、
4人のNEWSが大好きだった。

自分が思ってた以上に。

だと言ってNEWSファンを辞めるという選択肢は今の私にはない。考えられない。


だからこそ、自分はどんなファンで居たらいいのか。なんでどこまでも「NEWSのファン」である自分に固執するのか…とぐるぐる考えてます。



ふと頭に浮かんだのが「クローバー」の小山くんパートの一節。

何かを達成して嬉しかった時、壁にぶち当たって苦しい時、どうしようもなく悲しい時、こんな時でも頭に浮かぶのはNEWSの楽曲なんだよなぁ。(NEWS好きすぎるやろ私)

□♡▽⚪︎(4つ)の愛、みんなと合わせて
一つの大きな愛になる


この♡の部分をメンバーやファンが補おうとすることはできない。"彼"以外誰にも。

彼の歌やその姿からもらった沢山の愛や元気や幸せ…抱えきれないぐらいの思い出をなかったことになんて出来ないし、きっと面影を探してしまう。

だからこそそれを全部この胸に抱えたまま、一つの愛を育てていけばいいんじゃないかな というのが私なりの答えです。

歌詞の続き

それが僕の居場所、みんなの居場所だから
未来だってそうさ


ここ(NEWS)が居場所だと、守るべき大好きなものだと3人が歩み続けるように、私の居場所だって私が決める。
ここだ。ここしかない。


私はNEWSのファン、小山担です。
誰にも譲らない、大切な居場所です。




だから、最後のエゴとして貴方の居場所もここにあったって事を忘れないでくれたら嬉しいな。
おかえりって言わせてもらえないのならせめて…



NEWSの、彼の、NEWSを大好きなファンの、私の!
未来に幸あれ!!!!

宣誓、

※はじめに
本文で記載しているものは私個人の推察・私見に過ぎません。
あくまで一個人の意見として述べたものであり、自分が今抱いている悲しみ・不安・怒りといった負の感情を文字化することで自分の中に落とし込もうという趣旨の下書いたものであるため、決して読んでいて楽しいものではなく、もしかしたら不快な思いをさせてしまうかもしれません。

決して人様に薦めるべき内容ではないため、ひっそりアップしておりますが、もし…もしこれが目に止まり、最後まで読んでもいいかなと思ってくださった方に「何か」が伝われば幸いです。


_______________

小山くんは優しい。

私は小山担になってから何度この言葉を口にし、文字にし、思ったことだろう。

小山くんは優しい。とにかく優しい。
小山くんみたいになりたい。小山くんみたいな優しい人に。

何度願っただろう。


私はちっとも優しくないじゃないか。と思い知らされた。


その日あげられた彼の公式個人ブログとも言える『KEIICHIRO』を読んでから。




その日は本当に色々あった。
わざわざ明記する必要はないだろう。


色々あったから誰かと話したかった。
その日の夜はとある小山担と今流行のリモートシステムを用いて、語り合っていた。

23:02だったかな。「今日はきっと彼は『KEIICHIRO』を更新する」と確信に近いものを感じていたため、webを確認しに行くと案の定更新マークがあり、徐ろに画面をタップした。


泣いた。


話していた小山担に申し訳ないレベルで泣いた。泣きじゃくった。



すぐに目に止まった、自担からの「ごめんなさい」という一言がまず辛かった。
自担に遂にごめんなさいと言わせてしまったことが辛かった。

これは決して今まで自担が謝ってこなかったというわけではない。断じてない。
今まで公式の文書では「申し訳ない」という言葉を使っていたし、個人のブログでも直接的な言葉ではなく「心苦しい」という心の内を吐露してくれたり、悲しみを共有してくれた。

ただその日告知された今春開催予定だったライブツアー全日程中止の知らせ、そしてその日を通してあったこと、色んな意味を込めた「ごめんなさい」が辛かった。



そしてひとしきり泣いたあと、胸に小さな違和感を覚えた。


違う。何かが違う。

と。



それは話していた小山担も感じていたらしく、二人でぽつぽつと話し出した。この違和感はなんだろうと。

答えはすぐには分からず、普段だったら「まぁ、時間が経てば分かるだろう」と流していたかもしれないが、その日だけは何がなんでもこの違和感の正体を知りたかった。知らないといけないと心の何処かで焦っていたのかもしれない。


2時間程経っただろうか…
恐らく日付を超えた深夜1時頃、何気なく過去の自担の投稿を読んでいると「あぁ、こうやっていつも自担は寄り添ってくれている。優しいなぁ……」

え、そうだよね?(何が)
自担のブログからはいつも直接的な言葉がなくたって、自担によって紡がれた言葉や自撮りや動画から「今日も心は繋がってる」と感じられていた。

なのに今日は文の最後に「近くにいてね。離さないけど。」と添えられていた。


なのにどうしてだかその時の私達はこの二言が"浮いて"見えていた。
そこから自担の感情が読めないと感じた。

いつもなら言葉がなくたって感じていた心と心の繋がりが、今日は言葉にしてくれているのに何故か感じられない。


なんで…?
自担の心が分からない…


違う。

自担の心が分からないんじゃなくて、自担が私たちの心が分からなくなっているのではないのか?



この答えに辿り着いた時、違和感の正体に気付いてしまった気がした。



自担は言っていた。

「愛とはお互いがお互いを受け入れあって、優しい心でいて認め合う事で愛し合うという事。愛がなければ自分の存在価値や生きがいがなくなってしまう気がする。」(最新アルバム『STORY 』内の「What is Love?-interlude-」の内容を要約)


それが出来ているのかな。
少なくとも私は自担の優しさに甘えてしまっているんじゃないかな。

私はただのファンであり、自担に直接何か出来るわけではないし、それどころか今まで自担にもらってきた愛や優しさを満足に返すことすら出来ない。


でもそんな自分の立場に甘んじ、自担の優しさにばかり甘えていたのではないのか?



自担は四葉のクローバーが持つ意味の一つである「愛情」をテーマに背負った上で、こんな歌詞を紡いだ。

「毛布みたいに包まれて あったかいならいいのに」って
どうして形を求めるの?
近くにあるよ いるよ 気づいてよ

NEWSの楽曲「クローバー」より一部抜粋


言ってんじゃん、、

いつも心は近くにあるよ、近くにいるよ、気付いてよって…言ってんじゃん。


それなのにこうやって直接言葉にしてもらわないと気付けない私、馬鹿じゃん。大馬鹿野郎じゃん。


自担から沢山もらった優しさや愛は当たり前のものなんかじゃない。
何にも返せてない。貰ってばかりじゃないか。


何が自担のように優しくなりたいだ。
何が一緒に前に進みたいだ。
何が愛し合うだ。

全部全部貰ってばかりじゃん。



そこに気付いてからすごく胸が苦しい。痛い。

私はいつも自担から沢山のモノをもらってここまで前を向いて歩けてきた。心が弱った日は自担からの言葉を思い出してまた元気になれた。
自担に心を守ってもらっていたんだ。


…じゃあ、自担自身の心はどうなの?自担の心は誰が守るの?


この答えが「私」や「私たちファン」だったらどれだけいいだろうか。
そうじゃない、それが叶わないから悔しくて腹立たしくて苦しくて堪らない。


でもこの違和感の答えに辿り着いた事で一つ気付けたこともある。

優しいって大変。

優しい人は強い人 だとはよく言ったもので、正解かどうかは分からないが、小山くんの心を読み解いていくだけでこんなに心が痛くなるの?



全ての体裁を無視して(怒られる覚悟で)自分の心の声をそのまま上げていいのなら、

小山くん、もう充分すぎる。
小山くん自身の心を守って欲しい。
小山くんがふとしたタイミングで心が枯れてしまったらどうしよう。怖いんだよ。

小山くんは『KEIICHIRO』でも喜んでもらえることを考えて更新していくって言ってくれたけど、そんなの『KEIICHIRO』じゃないよ。

小山くんが話したいことや聞いて欲しいこと、いつもは吐き出せなくてもここだけならとナイショ話のようにそっと私達に教えてくれる…小山慶一郎くんの小山慶一郎な所が垣間見える場所でいいんだよ。

ごめんね、小山くんに何かしてほしい訳じゃないのに。
でもこれ以上頑張らないでって言うのもおかしいし。

とにかく守って欲しいんだよ、小山くん自身を。
私は守ってあげられないから。




はぁ…何を生産性のないことを言ってるんだろうか。

解決策や現状を打破する手立てがない答えに辿り着いてしまい、ものすごく今心が苦しいけれど、この答えに辿り着けた事を無かったことにだけはしたくない。しちゃいけない気がする。

何が出来るか分からないし、何も出来ないかもしれない。
でも向き合っていくと決めたから。



優しく、強くなりたい。

これは私の宣誓だ。

気付くのが遅くなってごめんね。
どうか、心を元気に。
近くにいるから。離れないから。

お願い、側に居させて。


小山くんは優しい。その優しさは当たり前なんかじゃない。

Re:深夜のラブレター


「私にとって自担ってなんなんだろう」

最近、このことについてよく考える。


時間が有り余った今、日々の中にエクササイズを取り入れてみたり、料理をする機会を増やしてみたり、家族との会話が増えたり、そんな中で自分のことや自担について考える時間も自然と増えた。


今の私は完全に「自担不足」である。
本来なら例年通り、アルバムを提げたツアーの真っ最中であり、今日は自担の誕生日を直接会場で祝えるはずだった。

正直、めちゃくちゃ悔しい!!


でも悔しい思いをしているのは私だけではないし、今はとにかく自分に出来ることを精一杯しよう。と自分なりに前を向いていた。



そこで少しずつ自分でも気づかないうちに心に降り積もっていった不安や寂しさを、自担は自身のwebにて「心は疲れていない?」という一言で解放してくれた。

「私、心が疲れていたんだ」

とそこで気付かされてひとしきり泣いたあの日から、また少し私の日々が変わった気がする。

今自担に会うことやコンサートに行くことは叶わないけど、オタクである今の自分が楽しくて幸せで仕方がないんだよね…なんでなんだろ。


数日前の私が呟いたように、最近「オタク」であることが楽しくて幸せで仕方がない。

自担に会えるはずの時間は先の未来へお預けとなり、満足にオタクをするどころか日々の生活すら制限が多い。


それでも私は今この瞬間を凄く「幸せ」だと感じている。


なんでなんだろ。



そう夜な夜な考えているうちに、一つの答えに辿り着いた。

少しだけ自分に優しくなれたのではないか

と。



私の好きな人はとても優しい。
自他共に認める「何でも許しちゃう」そんな人。

自身だって大変な時なのに、いつもwebやラジオにて文字や声に乗せてその優しさを届けてくれる。

「なんでこの人はこんなに優しいのだろう」と何度も思った。


そして何度も「私も優しい人になりたい」と願った。



今の自分が自担のような優しい人であるかと聞かれても自信はないけれど、前の自分より少しだけ優しくなれたのではないかと思える。

自担がくれた沢山の言葉が私自身が気付くことで私の心を救ってくれたように、ほんの少しだけ私を私自身に対して優しくしてくれる気がする。



自分自身に少し優しくなれたことによって…かは分からないけれど、今自分が過ごしている時間を精一杯楽しもうと思えるようになり、出来ることは限られていてもその中から「楽しみ」や「幸せ」を見出そうとしてるのかもしれない。


例えば

ラジオで自担の声を聴ける毎週火曜夜中の30分間が愛しく感じ、

自担がwebを更新してくれるのが待ち遠しくてついつい更新ボタンを連打してしまったり、

それをTwitterで共有したり自分の中で考える時間、

今こうして自担を想い言葉を紡いでいる時だって、


今はそれらの時間が楽しくて仕方がない。
自担のことを考える時間が幸せで仕方がない。




「人を幸せにするには、まず自分が笑顔で、幸せであれ」


誰かを幸せに出来るぐらい大きな力は持っていないけれど、まずは私自身が幸せでなければ誰かの幸せを願うことすら叶わないと思うから、私に沢山の優しさや幸せをくれた自担が幸せであってほしいから、私は今日も自ら「楽しみ」や「幸せ」を探せる人で在りたい。

そして少し疲れてしまった時はそんな日があってもいいじゃないかと赦せる自分で在りたい。


少し前まで私は自担の存在を

旅人が迷った時に空を見上げれば必ず同じ方角に輝く北極星のような「みちしるべ」であり、私のゆく道を優しく照らしてくれる「光」である

と思っていた。

もちろんその想いは変わらないが、自担は自身作詞の曲の中に「あなたのヒカリになりたい」と綴った。


私の中で自担は闇夜を打ち払う太陽のような光だと思っていたが、「flashlight」つまり懐中電灯になろうと言ってくれた。


ここからはあくまで私の解釈だが、懐中電灯は太陽のように自ら闇夜を打ち払う程の力は持っておらず、その懐中電灯を握りスイッチを入れる「誰か」がいることで初めて眩い光を放ち闇夜を照らす。

つまり懐中電灯とそれを握る「誰か」は共に寄り添うことで前に進むことができる。


自担自身がflashlight であることを望んでくれるのならば、私は自担という「ヒカリ」と共に前に進むことを望む「誰か(ファン)」の一人になり、こんな日々の中でも「楽しみ」や「幸せ」を探し前に、未来へ進もう。



…あー、だからオタクが楽しくて仕方がないのか。笑






「私にとって自担ってなんなんだろう」

自担の誕生日に即した文章とはとても思えないこの一言、
そこに今の私の答えを示すのならば


「私の大好きな人」だ。

凄く簡単な答えで我ながら呆れるが、呆れるぐらい大好きだ。

きっとこの先の未来はもっと素敵な事が待っていると信じられ、そこから見える景色を一緒に見たいと願う。



どうやら私はまだまだオタクである今の自分を楽しみたいらしい。







大好きな小山慶一郎くんへ

いつかまた逢える日まで。
またいつか直接この言葉を届けられるその日まで。

お誕生日おめでとうございます。

ラジオメールについての超個人的あれこれ


突然ですが、

皆さん、ラジオにメールやハガキって送っていますか?

(唐突にも程がある)


最近、嬉しいことに自担がラジオパーソナリティを務める“NEWS 小山慶一郎の「KちゃんNEWS」”(文化放送:毎週火曜日24:05頃〜)に送ったメールを読んでいただける機会が度々あり、

「どれぐらいの頻度で送っているの?」
「どんな内容を送っているの?」
「ぶっちゃけコツとかあるの?」

と言ったような事を聞いて頂けることがあります。
(いつもふわふわした回答しか出来なくてごめんなさい)



そこで、今回は烏滸がましいのは百も承知で私がラジオにメールを送る際に心掛けていることをここにまとめさせて頂き、読んでいただけた方への参考…まではいかなくても「私もメール送ってみようかな」というきっかけの一つにでもなればいいなと思っております。

※私なりの!我流の!自己流の!やり方であり、正解というものは存在しません。「ふーん、こうやってるやつもいるんだ」程度に流してもらえれば幸いです。

では長い前置きもそこそこに本題に移ります

_______________

まずは私のラジオメール採用(?)遍歴をご紹介しておくと、先述の通り、自担(NEWSの小山慶一郎くん)がパーソナリティを務める「KちゃんNEWS」(以下略:Kらじ)にて7回(2018年12月〜2020年1月現在)と、小山くんがゲスト出演した回の「レコメン!」の計8回です。

文化放送様々ですね。(足向けて寝れない)


それ以前にも同番組や、元推しのラジオにもメールを送っていたのですが……まぁ読まれない読まれない!!

メールは読まれないもんだと思い込んでいた時期もありました。←


それが一変したのが2018年にNEWSが「ベストヒット歌謡祭」に出演したすぐ後にメールを送った内容が読まれたことです。

その日はたまたまベスト歌謡祭出演後すぐに小山くんとゲストの増田くんは大阪→東京へ戻り、その足で文化放送でラジオを収録した日らしく(Kらじ内の会話より)、タイムリーな内容であったことから読んでいただけました。(なんせ当日の話)

その日を境にメールを読んでいただける機会が増え、私自身が一番「なんで??」と頭の中に?を飛ばしまくっています。


その話はまた追々話すとして、、



まずラジオにて採用されるメールを書くために言えることは

「現役/元構成作家さん達の仰ることが正しい!!」

(彼女は至極当たり前のことを声高に言ってます)


実際にラジオ番組を制作されている/いた方々の有難いお言葉がまさに啓示的回答。

文化放送にて現在もKらじを初め多くの番組を持っておられる方のひじょーーーーーーーーにありがたーーーーーーい「ラジオ番組へのメールの書き方」をまとめたツイートからいくつか抜粋すると、

都道府県・ラジオネームを本文の先頭に入れる

→Kらじではメールを紹介する際、「〇〇県〇〇さんからです。」と始まるので、これはマスト案件

・名前(本名)・住所などの個人情報の有無

→Kらじにおいて私は特に記載していませんが、「レコメン!」はメールが採用された場合、オリジナルクリアファイルがいただけるので、本文の一番最後に記載しました。

・ラジオ放送の時間帯にあった挨拶を

→やっぱ挨拶ってしてもらえると気持ちいいですもんね!私もいつも入れています!(Kらじは深夜放送なので「こんばんは」を)

・件名のところにコーナー名を入れる

→Kらじは現在コーナーがなく、「ふつおた(=ふつうのおたより)」のみなので、私は件名のところに「ふつおた」と書いています。ただ、「レコメン!」で読んでいただけた時は、毎日放送されている番組+募集テーマがあったので「木曜日 「小山くんの最新情報」」と何を書いているのか一目で分かるようにしました。(例えば「ふつおた 〇〇について」などにするものアリかと◎)


あ〜確かにどれもやってるわ…←


また、読まれるメールのコツについても記載して下さっていて、

・人と被らない内容
・文章は簡潔に
・よく読まれる方はその分沢山送っている

と言った内容でした。有難い。本当に有難い。



では構成作家さんからの有難いお言葉を元に、実体験を交えてコツ…というか普段私が実践している事を挙げさせていただきます。

①メールの内容

一番初めに読まれたメールは奇跡的なタイミング(当日中に送ることが出来た)により、読んでいただけたものだと思っていて、「歌番組などの番組出演について」「CD・ライブDVD/Blu-ray発売、ツアーについて」「誕生日などのイベント」などタイムリーな内容は、必ず触れられる内容。しかしそれについて寄せられるメールの割合も多いと思います。

つまるところ

激☆戦☆区


以前自分のメールが読まれるなんて夢にも思ってなかった時期は、そのような内容のメールばかり送っていた気がします。(勿論私もそのような内容に即したものも送っています。だっておめでたいもん!!)

ならばと、Kらじは小山くん×他のメンバー1人での構成が基本構成となっているため、その二人の共通項を用いた内容にすればいいのでは…?と視点を変えてみました。


例えば、
小山くん×増田くんは二人ともファッションに興味があるから流行カラーやファッションアイテム関連のお話だと、普段聞けないことも聞けるかも…

↑というように考え、そのような内容を送ってみると読んでいただけたことがあります。


あくまでも番組で話が盛り上がるような、パーソナリティがメールから話を膨らませられるようなメール内容であることが大切だと思います。

(そこが難しいんですよね‥)


膨らまし方としては、何かについての感想…で終わるのではなく、それに関連した質問をしてみることが一番有効なのではないかな?と。

私も基本的に質問したいことをベースに決めてからメールを構成するようにしています。
あまり質問が多すぎると今度は文章の量が多くなってしまうので基本的に「一つだけ」


そして最近では小山くん+メンバー回にプラスして、小山くん一人でのソロ回もローテーションに加わり、そちらには基本的に「小山くんのソロラジオめっちゃ好きです!!!!」って内容しか送ってないです。

(それは流石に盛った)(でも毎回愛は込めています)


ソロラジオ回は小山くんが「自分のことをもっと知ってもらいたい」という思いから組み込まれたものなので、その意図に沿ったものが読まれやすいのではないかと思います。



今はあくまでも「読まれやすい(?)」内容に特化して考察しているので、言いたいこと・伝えたいことを文字にすることが一番大切なことだと思います。
*1


②メールの分量

これまたメールは読まれないもんだと思っていた時期に私が送っていたメールは今思うと超スーパーウルトラヘビー級に分量が多かった気がします…

そりゃ読む気失せますよね←

趣向を変えてものすごく短文(1.2文)のものも送っていた記憶があるのですが…

文脈フル無視にも程がありますよね←


あくまでもメールの内容は簡潔に・言いたいことをまとめる
(だからそれが難しいんだよなぁ…私もいつも悩みどころです)


挨拶+前置き(〇〇観ました!など)→質問内容→一言添える(これからも応援しています!など)

or

挨拶+前置き→本題(私は今〜にハマっていますなど)→本題を受けての質問

といったように大枠の構成を決めてから、大体各パート3〜4行ぐらいまでには収めようと心がけています。(質問内容などメインにしたい部分の割合を多めにした場合、他の部分を減らすなど形を崩し調整しています)

番組によっては長文のものが好んで読まれることもあるかもしれないし、あくまでKらじに特化したことでしかありませんが、私個人としてはメールを受けてどんどん話を膨らませながら自分のことを話してくれる自担が好きなので、短めを心がけています!


③メールを送る頻度

これは…多いのかな。
これについて送ろう!と何かテーマを思い付き次第送るようにしています。

後回しにすると何送ろうとしていたのか忘れちゃうので((ボソッ

メールの上限数など決まっておらず、1ヶ月ほど前に送ったイベント性が薄い(近況など)内容のメールが突然読まれたこともあったため、

とにかく「送る」

これに尽きると思います。


ただ同じ内容のものを何通も送るのはNGとされているので、内容を練りに練りましょう!!(?)


④送るときにしていること

誤字・脱字がないように、私は送信ボタンを押そうとはやる気持ちを抑え、必ず一度声に出して読むようにしています。
(最近は脳内で自担の声に自動変声して読んでもらっています)

(怖い)

そうすることで誤字・脱字以外にも句読点の位置や、ここは意味が切れるから行間開けたほうが見やすいかな?と気づけることあるのでこれは絶対にしています!


また、Kらじはローテーションの仕組みがほぼ決まっている(メンバー全員出演などイレギュラー回を除き、同じ組み合わせで2週分録り溜め)ため、このコンビ回に読まれたい!という内容のメールは、前のコンビ回の2週目が来る前に送っていました。

しかし構成作家さん曰く、メールはある程度キープして下さっているみたいなので「このコンビに読まれたい!」という場合でも挨拶のところに「〇〇くん、〇〇くんこんばんは!」と書いておくなど「誰へ」のものか明確にしておけば送るタイミングは計らなくても大丈夫だと思います!
(重ね重ね有り難すぎるお言葉)

なのでここは「内容が思いついたときに送る」というところに行き着くのかな。



とにかくどこまでも心掛けていることは

「相手(構成作家さんやパーソナリティである自担)が読みやすいメール」

相手も人間ですので、自分が「このほうがいいかな」と思った事は片っ端から盛り込んでいます。

…と言っても、メールを読んでもらってから改めて読み返していると「…ここ重言してるやん」となることがまだまだあり、私も勉強中の身です。頑張ろう。



__________

ここまで自分の書いてきたこと読み直してきましたが…


私めっちゃ偉そうやん……←

上手な言い回しが出来ず、言葉足らずなところが多々あり本当にごめんなさい。


私も一人のKらじリスナーであり、Kらじファンです!!

ラブ 文化放送様!!←


それでも今回こうやってまとめてみようかなと思ったのは、メールを通じて届けられる声や想いがあると私自身が実体験から学んだからです。


初めてメールを読んでもらえた日、嬉しくて嬉しくて自室で「…え?え??えええ〜?!?!?!」と絶叫し(深夜24時過ぎ。パパママ、ご近所の皆様ごめんなさい☆)、「自担に初めて名前(メール)を呼んでもらえた日」とリマインダー設定しました。(ガチ)

現在のローテーションが組まれる前、自担のソロラジオが久々にあると決まった時に送った「小山くんのソロラジオと同じぐらい小山くんの自撮りも大好きだから、ソロラジオ後に自撮りして欲しい」といった旨のメールを読んでもらえ(今でも優しすぎる自担故に許された過ぎたわがままだと思ってます)次の日に自撮りをブログに上げてくれた日には、
「こんなふうに自分の想いを伝えられることが出来るんだ」と。

言葉や文字にするってすごく難しいけど、それが届けたい人に伝わったとき、こんなに嬉しい気持ちになるのだと知りました。


またメールを読んでもらえた時、たくさんの方が「おめでとう」と声をかけてくださり、その度に「みんな優しいなぁ…」と心をあったかくさせてもらっています。

何度だって言わせてください。ありがとうございます。



私は自担がパーソナリティを務めている というところから聞き始めた「KちゃんNEWS 」が本当に大好きです。
聞き始めた当初よりずっとずっと。

だからそこにメールという形で参加できる可能性があるならば、これからも続けていきたいと思っています。


自分の想いだらだら喋り、挙げ句の果てに勝手に決意表明までしてしまいごめんなさい。←



本当になんの参考にもならないかもしれませんが、「メール送ってみようかな」というきっかけになれば凄く凄く嬉しいです。

なにより、私自身がこれを書きながら改めてメール何を送ろうかなと考えて推敲している時間が楽しいんだと、伝わることが嬉しいんだと、「KちゃんNEWS」が大好きなんだと気付くことができました。(自己満足)

伝えるってやっぱ楽しいな。

*1:私も番組へのお礼メールなどもしばしば送らせていただいています

「明日からも頑張れよ」_____言の葉に乗せて


書こうかな〜辞めておこうかな〜と悩んでいたらあっという間に自担の入所記念日前日になってしまい、慌てて想いの丈を文字に詰め込んでおります。(結局書くんかい)


長い文章を書くことは昔から嫌いじゃないです。
作文とか小論文とか課題レポートとか。

でも自担への想いは書き出したら収集がつかなくなり、いつもとっ散らかった文章になってしまうことをよーーーく自覚している。感情の赴くまま書き殴っちゃうから。

拙い文章とも言えない文字の羅列になること必至の内容を自然と書き出してしまうのは、やはり自担が「伝える」ことを大切にしている人だからだと思います。


言わなくても伝わる事があったり、直接的な表現じゃなくても言葉の裏に隠された真意を見出したりする事があったりする中、

自分の言葉で自分の思いを「伝える」

ことの大切さを知っていて、何よりそれが大好きな自担の言葉から多くのことを学んだ1年(去年の入所日からカウント)だったなとしみじみ。



去年の7月、自担は新しいお仕事を掴み取ってきた。
東京MX さんでの自身の名がついた初めての冠番組小山慶一郎の健者のBORDER30〜専門医が導く健康への分かれ道〜」(以下略:BORDER30)が始まるというネットニュースを見たとき、バイトに向かう早朝5時台の電車内で一人静かに泣きました。

その時ももちろん嬉しかったです。泣いたもん。←

全3回(7〜9月に月一回での放送)の番組内で、ずっと観たかったMCとして場を回す姿、出演者の一人として新しい知識をぐんぐん吸収していく姿、そしてこれまであまりなかった自担が自身のことを語る姿やかなり攻めた出演者の方々との絡み。

私が見たかった自担の姿と、これまでとは違う新しい自担の姿をこれでもかと見せてもらえた、素敵な夏を彩ってくれた番組でした。

でもそのお仕事が持つ本当の意味を知ったのは、そのあと発売された「NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 "Strawberry"」の特典映像に収められたドキュメンタリー「ぼくたちの、原点」の「"伝える"は終わらない 小山慶一郎の原点」にて自担の口から語られた「伝える」ことに対する執念にも近い、強く熱い想いを知った時でした。


内容を深掘りするとまたとっ散らかるので自分なりにまとめると、NEWSとしてデビューした当初に感じた「伝える」ことの難しさ、キャスターとしてのお仕事を通じて感じた「伝える」ことの難しさ、でもそこから学んだ「伝える」ことの奥深さや面白さ、大切さ…

「"伝える"を諦めていない」と言い切った自担を見て、


あぁ、そうか。この人は"伝える"ことが大好きなんだ



大好きだからこそ諦めたくない、簡単に手放したくないというシンプルだけど強い想いが彼自身を突き動かし続け、掴み取ったお仕事がBORDER30だったんだと気づきました。


そこからさらに今現在、同じ東京MXにて「バラいろダンディ」の隔週コメンテーター、2月から始まる「タイチサン!」の特集企画のリポーター と「伝える」ことを諦めなかったからこそ掴んだお仕事がどんどん増え、35歳になった今でもどんどん新しい自分を開拓していく自担の姿は純粋にかっこいいなって思います。

「前しか向いていない」と言っていた自担の姿は、どこまでも眩しく、どこまでも人間臭くて、どこまでも自由である気がする。

この先に待っている未来は誰にも分からないけど、きっと「伝える」が大好きという気持ちを軸に自担はこの先も突き進んでいくんだと思うんです。

自由に空を舞える羽根がなくたって、一歩一歩踏みしめながら全力でガムシャラに。



そしてそんな自担の姿を見て、私自身も前に進み続けたい。

どこに向かっているのか今は分からなくても、ふと自分が辿ってきた道のりを振り返った時に前に進んだと思える未来でありたい。

「一緒に」前に進みたいと強く願うようになりました。


デビュー当時、「(自分が頑張る姿から)みんなに元気や勇気をいっぱいあげたい」と言っていた自担の姿から、元気や勇気をいっぱいもらっている人が私を含めて沢山いる。





これまでもこれからもずっとずっとありがとう。
NEWS 小山慶一郎のファンになれたことは、私にとって誇りです。

入所19周年おめでとうございます。



貴方から「伝わって」貰ったモノを胸に、
私は明日からまた頑張れる。


2020.01.21(火)

今日は記念日-苺のような真っ赤に色づく想い-


※この先、本文中に「NEWS 15th Anniversary LIVE 2018 “Strawberry”」(以下略:Strawberry)の本編内容に触れる記述があります。まだご覧になられてない方など、ネタバレになる恐れがあるためご注意下さい。

_____



NEWSのコンサートって愛に溢れた空間だな!!」


と、凡そ3時間にも及ぶStrawberry本編を観ている中で何度も感じた。

時には言葉で、時には表情で、時には演出で、、

「NEWSからNEWSを応援してくれたすべての人へ」
「スタッフからNEWSへ」
「ファンからNEWSへ」

と様々な形の「愛」がこれでもかと詰まっていた。



Strawberry、つまり苺の花言葉は「幸せな家庭」を象徴するものである。

あの空間はまさに、NEWSとNEWSの結成15周年を祝うすべての人々を包む温かで幸せなものであった。
(真夏の酷暑と人々が放つ熱気で、最高に暑くて熱いライブであることは勿論)



様々な愛の形が体現された中で、特に自分が印象に残ったものをいくつか挙げていきたいと思う。


①ファンの声=愛
前半戦ラストを飾る「U R not alone」の前奏部分で、小山くんが「皆さんの大きな“愛”を、僕たちに届けて下さい」と煽る。

私たちの声を愛だと言ってくれるのだ。

その愛を全身で受け止めるように両手を広げ、まるでそれを次の歌唱へのパワーへ変えるように身を委ね、そしてそれを歌として私たちの元へ届けてくれる。


愛の交換 とでも例えるべきなのだろうか。


小山慶一郎は伝える、「沢山の愛をありがとう」と。
手越祐也は誘う、その力強い歌声で私たちの心を一つに。
加藤シゲアキは信じる、「そんなものじゃないだろ?」と私たちの可能性を。
増田貴久は寄り添う、ファンの歌声に合わせ自らの歌声を。

そしてファンは歌う、NEWSがくれた愛に応えるために。


あの曲が持つパワーは計り知れない。
時には感極まって涙が溢れてしまうほど心が震える。

「U R not alone」
私たちは間違いなく「ひとりじゃない」




②ファンを信じてるからこそ

第一前提として、NEWSはライブ中にファンに何かを求める事が多い。かなり多い。めちゃくちゃ多い。←

手拍子や曲の振り付け・C&Rは勿論、タオルを回す・ジャンプをする…
「一緒に歌って」と曲のワンフレーズをファンが担うことさえある。


それらは全て「ファンならきっとやってくれる」とNEWSが信じてるからこそだと私は思っている。

そして私自身含め、ファンもNEWSが喜ぶ顔が見たいからそれに全力で応える。

双方の気持ちがあるからこそ成し得る「人と人がリアルタイムで作り出す演出」といえよう。



それの集大成とも言えるのが、ライブも終盤戦に差し掛かる「Stand Up」前、約5分20秒にも及ぶファンの「Stand Upコール」ではないだろうか。

NEWSはファンに対して「Stand Up」と言い続けてと促すと、ステージ下へ降下、次のパフォーマンスのために生着替えを始める。


普通に考えて演者の居ないステージが5分以上も続くことはまずない。

それが体現したのは、やはりNEWSとファンの互いに思いやる気持ちと、ライブの主役はNEWSだけでなく、15年という長い時間の中で出逢えたファンでもある。というメッセージなのではないのかと私は受け取った。


だからこそ大切なライブの演出の一つにファンの声や踊り、個々では小さいかもしれないが、大人数が一つになった時に生まれるエネルギーのようなものを一つでも多く取り込んでいくのだろう。


だから
私はこれからもライブの次の日に声が枯れてしまっても声の限り歌い、その名前を呼びたい。

腕が筋肉痛になろうとも力の限りペンライトや拳を掲げたい。


そうやって「想い」が届くように。





③スタッフからの愛

どのライブDVDを観ても思うが、今回の“Strawberry”にも「憎いなぁ〜」と思う演出・編集が随所に施されていた。


本編開始前に普段見る事のないステージ設営の様子を映し出したり、歌唱シーンに上手くスクリーンで映し出した映像を混ぜ込んだり、、

「こんなの泣いてまうやろ」

とまんまと泣かされる演出がありすぎる。
(悉く泣かされたやつ、ここに一名在り)


映像の編集だけではなく、企画の段階から当日の運営まで、目に見えるところ見えない所にいたスタッフの方々からNEWSに向けた「愛」の形なのだと思う。


特にラストのエンドロールには「生きろ」のカラオケver.が使用されているが、ライブ会場の音をそのまま、所謂「まま音」でスクリーンの映像とともに流している。

そうすると、ファンが何処からともなくカラオケ音源に合わせて「生きろ」を歌いだし、サビに入る頃には会場全体で約55000人の大合唱となる。


当時、「生きろ」の発売前だったにも関わらず、所々鼻歌を交えながらも自然と口ずさんでいた。
歌い終わった時にはもう一度大きな拍手に包まれた。


それをそのまま使ってくれた演出に、やはり泣かされた。←


沢山の憎い…愛に溢れた演出をありがとうございます。




まだまだ挙げればキリがないが、一つ言えることは「みんなNEWSが大好き」

NEWSのメンバー自身も、ファンも、スタッフも、、

その気持ちが直接ぶつかりあうコンサートという場所はNEWSが作り出す「幸せな家庭」と言えるのかもしれない。



これからもきっとNEWSはファンに対して「愛」を届けてくれるし、ファンもそれに応えるだろう。勿論私も力の限り「愛」を返していきたい。

きっとその想いは届くと信じて。



沢山の愛をありがとう。
これからも愛しています。

NEWS、結成16年目おめでとうございます。


ありったけの愛を込めて

2019年9月15日(日)

伝わる温度-あの日見た景色-


2019年8月11日(日)

「NEWS 15th Anniversary Live 2018 Strawberry」から丁度1年、約1年前(正確には337日前)に自分があの2日間を経て感じた事を書き殴った記事を久々に読んでみた。

ライブから1ヶ月近く経った時にようやく書いたにも関わらず、拙い言葉でただただ感情に従って「自担の歌が上手くなっていた」という事を繰り返し綴っていた。


でもなんだか読んでいて不覚にも泣きそうになった。




あの記事を書いてから1年間、幸運にも自担の歌声を直接聞くことができる機会にたくさん恵まれた。

テレビ朝日ドリームフェスティバル2018
・NEWS DOME TOUR 2018-2019 EPCOTIA -ENCORE-
・NEWS LIVE TOUR 2019 WORLDISTA


沢山の音楽番組も勿論。


沢山自担の歌う姿に触れてきたからこそ言い切れる。
自分が1年前に感じた「自担の歌声から“感情”のようなものを感じた」という感想はあながち間違っていなかった。


少し言い方を変えるなら、自担の歌声から“温度”が伝わってくるような気がする。

時には優しくじんわりと聴く人の心に染み渡り、
時には激しく周りの人や歌っている自担自身の心さえも揺さぶるような、

また時には聴いている人の背中を優しく押し出してくれるような、


そんな色んな“温度”を私は自担の歌声から以前より強く感じる。


それは受取手によってはコロコロ変わる“表情”だったり、鮮やかな“色”になるのかもしれない。


色んな感じ方があっていいと思うし、どれが正解でもないしどれも正解である。(ここまで書いておいて…わたし何様)



1年前はまた自担があの場所(NEWS)で歌ってくれる姿が見れて嬉しい。それだけでいい。

と思っていた。
でもこの1年で少し私も欲張りになってしまった。


もっともっと自担が歌う姿を見たい。あの場所(NEWS)で、メンバーと楽しそうに目を合わせ、自分に落とし込むように、そして時折客席を愛おしそうに見渡して歌うあの姿をもっともっと見たい。


「歌う事は正直苦手、でも今歌う事が楽しいんです」という自担が届けてくれる歌をもっと聴きたい。


あの時より、もっともっともーーーっと貴方のことが大好きになったから。




そしてもうすぐ、あの暑く熱い2日間の思い出が作品となり発売される。

1年前、私は「とにかく今は NEWS 15th Anniversary Live 2018“Strawberry”の円盤化を心待ちにしており、私が目の当たりにしたあの光景が一つの作品、何度でも見ることができる思い出として手元に届くのを夢見ている。」

と締めていた。


その日が来るまであと少し。
またそこからどんな景色を見せてくれるのだろう。


真っ赤な苺と愛で埋め尽くされたあの美しい景色を、あの夏の思い出を私は忘れない。