声に感情を乗せ -味スタで見た景色-


 謹慎明けから様々な歌番組、15th Anniversary Live、、

自担の歌声を聴く機会が沢山ある中で、私だけじゃなく多くの人が感じているのが


「歌が確実に上手くなった」


「上手くなった」と言ってしまうと、上から目線なコメントだと自分で感じてしまうが、その真意としては「また一つ、自分を乗り越えた」自担を目の当たりにしてただただ尊敬の意を称すしかありません。


 彼は以前自らの口から「歌がコンプレックスである」と零していた。

アイドルというのは漠然と歌って・踊れるものだとイメージがあり、そのイメージをぶち壊すような発言をするのは、嘘がつけない彼らしさからくるものだと思ったし、そんなアイドルがいてもいいじゃないか。

 間違いなく私が同じ立場にいたとしたなら緊張で歌うどころか声すらまともに出ない…


結成15周年を祝うライブ、“Strawberry”で聴いた自担の歌声は数ヶ月前の“EPCOTIA”で聴いたものと明らかに違っていた。


何が違うのかと明確に言い表すのは難しいが、特に自分の中で印象に残っている点を2つに絞ってあげるとするならば



1つ目はエンドレス・サマーのBメロ

 これまで何度も歌われてきて、今度発売される「生きろ」で満を持してRepresent(再録)される曲だが、これまでと明らかに違うのが、彼の声に「泣き」の表情が見えたことである。

 私はSNSで度々発言しているように、彼の母音が掠れた響きを残す歌い方が大好きであり、この曲は特にそれが顕著に出ていると感じている。


味スタで聴いたエンドレス・サマーは確かに「輝きだけを胸に残し終わりを告げた」

あの日々に思い焦がれている という歌詞の内容が胸にど直球で届いた。彼はあの歌詞で「泣いていた」ように思えた。


そして、その「泣き」がもう一度垣間見えたのが「さくらガール」の最後の「さくら」と伸ばすパートである。

本来なら「僕のさくら」と歌う手越さん以外の3人でのパートであるが、味の素スタジアム…野外という特殊な環境下でのライブには付き物の音響トラブルにより、最後の伸ばしがほぼ自担一人の声しか聞こえなかった。


マイクを両手で包み込み斜め上を向きながら歌う彼の歌声にも、もう戻らない恋人を、短い季節で美しく咲き誇りやがて散りゆく桜に例える「儚さ」が込められていた。



どちらの場面も…否、語りつくせない全ての場面において、

歌詞を読み込み解釈し、一つ一つを大切に歌い上げる彼の姿勢と彼のたゆまぬ努力が生んだ、彼が彼自身(コンプレックス)を乗り越えた結果なのであろう。


自分と向き合うということはとても地道で孤独で、私自身そこから目をそらしがちである。

しかし、それを乗り越えてまだまだ新しい景色を見せて、何度だって好きだと思わせてくれる「NEWS 小山慶一郎」を私はこれからも応援していきたいし、彼を心から尊敬している。



とにかく今は NEWS 15th Anniversary Live 2018“Strawberry”の円盤化を心待ちにしており、私が目の当たりにしたあの光景が一つの作品、何度でも見ることができる思い出として手元に届くのを夢見ている。